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・・・続き3

〈システムの犠牲になる十代の里子たちとの仕事〉
 
ディーは、エッセイの中で、自分がソーシャルワーカーに信用されなかったことを描いている。何度も変わったソーシャルワーカーたちは、ディーの言葉に真剣に耳を傾けなかった。里親のいないところで二人きりで話をする、というソーシャルワーカーとしての最低限の仕事の原則も守らず、5歳の子どもの悲鳴は誰にも受け止められることは無かった。

 ディーは18歳になってシステムを離れてから、彼女の実の姉が近くの街に住み、ずっとディーを探していたことを知った、と話してくれた。なぜ、ソーシャルワーカーはディーの身内や親戚を探そうとしなかったのか。もし、この実姉がディーと再開し、育てていたら、ディーの今までの人生はまったく違っていただろう。

 乳児の時にネグレクトがもとで親元を離れたディーは、里親の家庭で性虐待と身体的虐待を受け、成長する過程で、児童福祉システムそのものの犠牲になっていった。私は、2年余の時間をついやして書いた『ディープ・ブルー(2006年発行 太郎次郎社エディタス)』という本の中に、ディーのように幼児期に深刻な虐待をうけ、里親からグループ施設へと移転を繰り返す中で、孤立してゆく5人の十代の里子たちの成長を記録した。

 この本の中に、私はカリフォルニア州でのソーシャルワーカーとしての経験をもとにして、十代の多感な子どもたちとの仕事の困難さも書きあらわした。虐待の傷を負った彼らの精神性は内面で複雑に交錯している。ソーシャルワーカーを手玉にとって操ろうとしたり、反抗したり、頼りきりになったり、という予測のつかない行動で、我々ワーカーたちは七転八倒する。

 十代の里子との仕事をするとき、ソーシャルワーカーは、クライアントとしっかりとした道徳的な境界線を維持し、個人的な感情や差別を持ちこむことなく、彼らの里子としての権利憲章を尊重して公平に仕事をしなければならない。十代のクライアントとしての独立性を尊重し、彼らの意見を自分の意見より先に押し出さなければならない。その反面、われわれは、しっかりした親のいなかったティーンたちの大人としての見本になるような行動をとり、法律的には親代わりの我々が、“親として”彼らを見守っていかなければならない。数少ない貴重な資源であるグループ施設の管理職やスタッフとの関係を保ちながら、施設側に不当な扱いが見られれば、クライアント擁護のために抗議しなければならない。 





   
 
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