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続き3・・・

  第二は親の側の問題である。親がみずからの〈させる〉養育を考え直すことのむずかしさである。〈させる〉養育という姿勢を捨てないかぎり、親は子どもに「いい子」以外の子どもの生き方を認めることができない。
 したがって、「いい子」を維持するエネルギーが枯渇してしまっている我が子の現状を、すなわち「いい子」からの脱落という事態を、自分たちがとった〈させる〉養育の帰結であるというようには考えることができず、子ども自身の努力不足、怠慢の結果であるとみなそうとする。
 だが繰り返すなら、「いい子」も、「いい子」の脱落・崩壊も〈させる〉養育に起因するのである。そしてここから、「いい子」を生きる子どもはどこかの時点で「いい子」からの脱落に見舞われる、という命題を経験則として導きだせるはずである。この経験則を「いい子」のパラドックスと呼ぼう。「いい子」のパラドックスは、〈させる〉養育のもたらす家族的な悲(喜)劇の典型であるといえよう。

  〈させる〉養育において、「いい子」を求めていた親は、「いい子」でなくなってしまった子どもを捨てる。「いい子」でなくなってしまった子どもは、教育家族の親にとってはもはや我が子ではないというわけだ。このような家族の崩壊のドラマについては、次のような例を紹介しておこう。

 たまたま知り合った二十歳になる女性は自殺未遂を繰り返し、自傷行為を常習としていた。彼女は言った。物心ついたころから父親は「いい子」を求めてきた。父親の喜ぶ顔が見たいばかりに、必死に要求に応えようと自分を殺し、「いい子」を演じてきた。ところが、小学校の高学年に入ると、「いい子」のパラドックス状態が現れた。父親はショックで私の努力不足を非難し、叱咤激励した。しかしどんなにがんばっても成績は下降する一方だった。それまでの自慢の子は、厄介な子に変わり、やがて父親の視野から消えた。父親は私に無関心になったのだ。そのとき私は父親に殺されたと思った。いまは実際に父親の手で殺されることを願っている。―――

 この女性の話を聞いているあいだじゅう私は、彼女のなかの父親へのはげしい憎悪と愛着を感じていた。父親によって殺されるか、父親を殺すかという分かれ道は、どこにあるのだろうか、ということを考えていた。いずれに向かうにしろ児童文学評論家の清水眞砂子が「教育致死」と名づけた状態がここにあると思った(*3)。(了)

(*1)教育家族という概念は中内敏夫「児童労働の時代」による。ただしその内容は中内の考えを踏まえながら評者自身のものへと移し変えてある。
(*2)子どもはほんらい内発的な思考・行動(要するに遊びということだが)のはらむ無限の創造性をエネルギーに変えて、みずからを生きることができるのである。遊びの創造性については、いずれどこかで触れることがあるだろう。
(*3)昨今の親殺しをはじめとする少年犯罪の大きな部分を占めるのが、〈させる〉養育によって「教育致死」へと追いやられた子どもたち、若者の起こした事件であることは指摘しておいていいだろう。主なものとして、04・11茨城水戸で起きた十九歳の若者による両親殺し、同日土浦で起きた二十八歳の若者による両親・姉殺し、05・6東京板橋で起きた十五歳少年による両親殺し、06・6奈良県で起きた十六歳少年による自宅放火による継母・義弟・義妹殺し、07・1東京渋谷で起きた両親が歯科医の二十一歳の若者による妹殺しをあげておく。

 
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