第1回目 第2回目 第3回目 第4回目 第5回目 第6回目
>Indexに戻る
1   2   3  
 

芹沢俊介(せりざわ しゅんすけ)
1942年、東京都生まれ。上智大学経済学部卒業。
主な著書に『現代〈子ども暴力論〉』『母という暴力』『家族という暴力』(以上、春秋社)、『子どもたちの生と死』(筑摩書房)、『ついていく父親』(新潮社)、『子どもたちはなぜ暴力に走るのか』(岩波書店)、『経験としての死』『引きこもるという情熱』(以上、雲母書房)、『「新しい家族」のつくりかた』『死のありか』(以上、晶文社)などがある。新刊に『宮崎勤を探して』(雲母書房)
第1回 <させる>養育と<受けとめる>養育 no.1

養育(育児)のしかたには二つの対極的な方法があるだけだ。それ以外は両者の折衷である、そう考えるようになった。
 二つの対極的な養育方法とは、〈させる〉養育と〈受けとめる〉養育である。
 まず〈させる〉養育について述べてみる。

 〈させる〉養育において子どもは、親の意向、おとなの意向を優先的に実行するよう求められる。必然的に子どもの意向は無視されるか、後回しにされる。子どもはみずからの意向を後回しにして、あるいはみずからの意向に替えて、親の意向、おとなの意向を第一義的に生きることを求められる。それが「のぞましい」とされるのである。

  「のぞましい」の強度にはそれぞれの家族によって差がある。〈させる〉養育を組み込んだ家族を教育家族と呼ぶことにしよう(*1)。〈させる〉養育の姿勢の強度、つまり教育家族の強度が、「のぞましい」の強度をきめる、そう考えていいだろう。
 ついでに記しておくと、教育の核にあるのは、〈させる〉という姿勢である。習わせる・読ませる・書かせる・おぼえさせる・運動させる・・・。教育好きの親、教育に脅迫されている親は、子どもに「させたがる」。いい本を読ませたい、いい音楽を聞かせたい、いい映画を見せたい、いい友だちと付き合わせたい、いい学校に行かせたい、いい仕事に就かせたい・・・。これらはすぐに反転する。悪い本は読ませない、悪い音楽は聞かせない、悪い映画は見せない、悪い友だちは付き合わせない、悪い学校に行かせない・・・。

 このように〈させる〉養育には、親の価値観の推奨(押し付け)とそれ以外の他の価値観のしゃへい遮蔽(禁止)がセットになってつきまとっていることが知れよう。それもこれも子どものため、というのが親の言い分である。おかげで子どもは「させられる体験」ばかり、ということになる。私は、子どものはげしい、ときに一見衝動的な欲求不満のみなもとをここに認めたいと考えている。
次ページへ
 
1   2   3  
 
   
 
COPYRIGHT(C)2006 ORANGE RIBBON-NET & THE ANNE FUNDS PROJECT ALL RIGHTS RESERVED.