児童福祉司を経験して
元児童相談所 児童福祉司  
阿部 瑞枝  

  内心、「えーっ!」という衝撃でした。児童相談所勤務の辞令を貰ったのは、「児童虐待の防止等に関する法律」が施行されて間もない平成13年4月でした。私が47才のときですから、「この大変な時期に児童福祉司をするには、ちょっと、歳をとりすぎてやしないか?体力も自信がないし・・・・」と、不安だらけでした。しかし、とにもかくにも覚悟を決めて、筑豊の児童相談所に赴任しました。

  不安は的中し、児童相談所の現場は、嵐のような毎日で、押し寄せる相談の数々に、とまどいの連続でした。
まず、自問したのは、「私は基本的に、子供が好きか?」ということでした。「自分の子は大好きだけど、他人の子はどうなんだろう・・・」とか、「人の話にじっと耳を傾けることが、せっかちの私にできるか?」などということでした。非常に頼りない新米児童福祉司であったと、今思っても、顔から火が出そうです。 

  筑豊は、私がかつて生活保護のケースワーカーを経験した場所であり、昔も今も、生活保護の受給率の高さは、全国平均をかなり上回っています。土門拳さんの写真集「筑豊のこどもたち」を改めて見なおしながら、「この写真集に出ている子どもたちは、今、どんな親になっているんだろう、私が、生活保護で関わった世帯の子どもたちは、どうしているだろう」などと思いを巡らせながら、ちょっと大げさに、「誰かがやらなくっちゃ」と自分に言い聞かせ、でも、内心は「今日は、いったい、どんな事件がおこるんだ?」とビクビクし、少しずつ、時が過ぎていったというのが実感です。最後まで、児童との面接は苦手なダメ児童福祉司でした。どうにか乗り越えられたのは、同僚や上司のおかげと、ただ感謝あるのみです。

  私自身は、持病の肺炎を再発させてしまい、3年間の経験で終了し、その後は、広報啓発の仕事へと移りました。今年、児童福祉とは全く関係のない職場に転勤しましたが、児童相談所が妙に懐かしく、気になるものですから、同じ庁舎内にある相談所の支所にちょくちょくお邪魔しています。
自分が関わった児童がどうなっているのかも気になります。「あの子の処遇は、あれで良かったのか?」と。
思えば、児童福祉司であった時ほど「自己」と真っ向から向き合う、濃い時間は、久しくなかったと思います。児童や、その親御さんと向き合えば、私自身の思春期のことや、親のことを、どうしても考えずにおれません。

   私の父は、84歳で亡くなりましたが、貧しい子だくさんの家に生まれ、幼い時に口減らしのため、養子に出されました。養家でもあまり可愛がられませんでした。楽しい学校行事にはほとんど参加させてもらえず、幼いころから百姓仕事の手伝いばかりさせられて、非常につらい思いをしたと、後年、母に語っていたそうです。その眼には涙が浮かんでいたと母から聴かされました。今であれば、さしずめ職権保護の対象になりそうな話です。
  そのような父にとって、愛情表現が苦手だったのは無理もないことだったのですが、家庭内で全く会話がなく、私にとっては、重苦しい雰囲気をひたすら耐えただけという思春期時代を思い出しました。
父は自分がまともに学校へ行けなかった分、非常に学力へのこだわりの強い人でした。子どもは、ひたすら勉強していればいいという信念があったようです。居間で、テレビを30分観ても「勉強しろ」と怒鳴る、又は、母に小言を言わせるという風でした。

  一方、母は私に女の子としての役割を期待していました。私がいつも自分の部屋に引っ込んで、家事を手伝わないことが不満だというのが、なんとなく、日常の母の態度から伝わってきました。母は、否定するかもしれませんが、お皿を洗う音や、掃除機をかける音などが、「何故、手伝わないの」といわんばかりに、大きく感じる毎日でした。
  このように、両親の思惑を気にして、ビクビクと過ごす家庭の中は、私にとって、安心して過ごせる場所ではなかったので、「あのときの親の態度は、一種の心理的虐待だったのでは?」などと改めて不満がつのり「それでも、今の自分があるのは何故だ」と考える・・・結局、はっきりした結論は出せないままです。
自分の人生を振り返るこの経験は、私自身が、中年以降の人生を考えるうえでも、また、自分の思春期の男児を育てるうえでも、なくてはならない大切な経験であったと思っていますし、糧ともなりました。

  そのような訳で、今の職場の方々にも「児童福祉司は、いい仕事だった」と宣伝してまわっている自分に気づくのです。児童福祉司になりたいと思ってくれる力のある職員の方々が増えればいいな・・・・と。
まだまだ、児童虐待事件は後を絶ちません。親を殺害する青少年のことが話題になっていますが、親に殺害される児童の方がはるかに多いのです。加えて障がい者自立支援法の行方も非常に気になります。障がいのある児童の親御さんの、経済的負担からくるストレスが、児童に与える影響がどうなのか、弱者の立場になって考えてみなくてはいけないと思います。

  最後に、私のような拙い経験者にこの様な機会を与えて下さった、箱崎幸恵さんに感謝すると同時に、このサイトが児童虐待防止への活発な交流の場になることを願って終わりにしたいと思います。


☆ プロフィール
阿部 瑞枝(あべ みずえ)
昭和29年 福岡県生まれ。熊本大学教育学部卒業後、福岡県の行政職員に採用される。平成13年4月から、5年間筑豊を管轄する田川児童相談所に勤務。児童福祉司や、児童虐待防止の広報啓発の仕事に従事する。福岡県豊前土木事務所事務主査として勤務している。
我が家のペット「チコ」です。
子どもたちが癇癪をおこすと、
母親のように、慰めてくれます。
我が家の「癒し」です。
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