私にとっての家族(続き2)
CAPNA理事長、弁護士  
岩城 正光  
  
   ある日、母と兄貴が大喧嘩した。母が出ていった。僕は母の後を追ったが、母はすでに市バスに乗って行ってしまった。バス停でバスが来るたびに母親が戻ってきてくれるように祈った。竹藪の中で3時間バス停をじっと見つめていた。夜も遅くなって、仕方なくお家に帰った。兄貴がどこでなにをしていたと聞いた。竹藪の中で母の帰りを待っていたと答えた。「嘘付け。こんなに長い時間居られる訳ないだろ」と言って僕を叩いた。なぜ僕を殴るのかと聞くと、お前しか殴る奴はいないからだと言う。僕を殴るために僕を置いていけと生母に言ったのかと聞くと、これが兄弟なのだと言う。全く理解できなかった。

4. 家を出たい
  たらい舟のような家庭だった。いつ家族一人ひとりが離ればなれになるかもしれないと思った。父は外国を廻る航海に出ると言う。実際に親戚に兄弟を預けるという話もでた。毎日、家庭争議のない日はなかった。父親が怒り出すと食卓のお椀が飛んでくる。兄貴が逃げる。僕も後を追う。なぜこんな家庭になるのだろうと思った。パンツ一丁で外に逃げたときは、同級生にじろじろ見られた。兄貴が大学に入学してくれて家庭が一時静かになった。家族が一人いないだけでこんなに家庭の雰囲気が変わるものかと実感した。でも僕もこの家庭から早く出て行きたかった。僕も反抗期に入ったのだ。

5. 生母との再会
  27歳の夏の日、姉が僕の居所を探し出し連絡してきた。22年ぶりの再会となった。結婚して幸せそうだった。姉がまぶしかった。姉の家に行くと、生き別れた母がいた。僕を見るなり、土下座をした。「お前を捨てていったんじゃないんだよ」繰り返される母の詫び。そして父への悪口。僕にとって父への悪口は今の僕自身の否定につながること。でもそんな気持ちもわかって貰えないだろうと諦めた。母が顔を上げて、奥の部屋に僕を導く。母親の後ろ姿を見たとき、正直言って僕は知った。「そうだったんだ。僕は母さんの子だったんだ」太っているのは僕のせいじゃない、母親からの遺伝だと知ったとき、なにか心が軽くなった。きっと今までの言葉にできなかった感情が少しずつ氷解していくだろうと予測できた。実際にそのとおりになった。

6. 家族の再生の大切さ
  家族が仮に崩壊しても、子どもには、とっても大切な家族なのです。親を知り、自分の生い立ちを知ることが自分の回復につながることを知りました。特にCAPNAで知り合った仲間たちも同じような体験をしています。大切な心友である祖父江文宏さんも矢満田篤二さんも、哀しい子ども時代の思い出がありました。この二人と出会って、僕は自分の過去を大切にする気持ちになり、あらためて生き直す勇気をもらったのです。哀しい子ども時代は、決して不幸ではありません。不幸は不幸で終わらないのです。それが生きているということなのだと、ようやく実感するようになりました。
 どうかみなさん、ともどもにCAPNAの連帯の輪を広げていきましょう。
 「小さい人よ。あなたの笑顔が未来への扉を開く。」   祖父江文宏
                                  「翔」第11号より転載



虐待防止に
つながる情報


著 作 
○子どもの虐待防止・法的実務マニュアル(編集委員・日弁連・赤石書店)
○児童虐待ものがたり(共著・弁護実務研究会・大蔵省印刷局)
○虐待を受けている子への法的援助(日本評論社・季刊精神科診断学第12巻4号 平成13年12月)
○児童虐待事件における司法関与―職権主義と当事者主義の狭間(日本評論社・法律時報 2005年3月号)


☆プロフィール
岩城 正光(いわき まさてる)
昭和29年10月生まれ。名古屋市在住。
中央大学大学院博士課程(商事法・前期)修了し、名古屋弁護士会に登録。
平成7年「子どもの虐待防止ネットワーク・あいち」(CAPNA)
を設立し、事務局長に就任。
平成12年9月、「DV弁護士ネットワーク・あいち」を設立し、代表に就任。
平成14年6月、CAPNA理事長に就任。CAPNAなどの市民活動とともに、家族問題を専門とする弁護士活動を展開。家庭支援のあり方、子どもへの自立支援など、家族再調整へ向けた司法福祉をライフワークしている。
現在、日本子ども虐待防止学会・理事、愛知県社会福祉審議会・里親審査部長、厚生労働省社会保障審議会児童部会・専門委員、全国子どもの虐待防止民間ネットワーク代表、創価大学法科大学院非常勤講師。
    |2
←戻る上へ↑
 
COPYRIGHT(C)2006 ORANGE RIBBON-NET & THE ANNE FUNDS PROJECT ALL RIGHTS RESERVED.