私の誘拐事件?      
NPO法人里親子支援の
アン基金プロジェクト事務局長
坂本 和子
 そろそろコメントをと考えていたころ、ニュースで、奈良県女児誘拐殺害事件の死刑判決が出たと報じられた。被告は子どもに性的な接近をしていた。普段は忘れていた記憶がさあっとよみがえる、50年以上も前に私にも似たような危ないことが起きたなあと。

   幼稚園生のころ、多分土曜日だと思うが、いつものようにお昼ご飯まで近所の友だち3人と石蹴りなどして遊んでいた。そこへ、見知らぬ若い男の人が通りかかって、○○高校はどこにあるかと聞いてきた。私は「すぐそこよ」と返事をした。歩いて2分もかからない、自分の行動範囲にある。「ついてきて教えてくれないか」と言われて、「うん」と言って、私は喜んで道案内に立った。友だちも直ぐ帰って来ると思って、黙って送り出した。

 高校の運動場の網塀の前まできたので、「あの見える建物がそうよ」と言って帰ろうとしたら、塀があるのに、「中まで案内してくれないか」と言った。そこで、これは困った、おかしいと子どもながらに驚いたが、腕を引っ張って、後から押し上げて高い塀をよじ登らせ、とうとう塀の中に入った。泥棒ではあるまいし、そんなことはしたことがないので、怖くなって戻ろうとしたが、ぐいぐい引っ張られて、運動場の横の小高い丘のようなところまでたどり着いた。

 そのころになると、恐ろしくて、どうして良いかわからなかった。藪が生い茂っており、そこで、私の身体に触ろうとする。私は恐ろしさのあまり、失禁してしまった。と、ちょうどそこへ別の生徒が、「学校の何かが始まるぞ」とその高校生(だったのだ)を呼びに来たのである。サアッと引き上げていったので、私は難を逃れた。
初めて我に返り、怖くてワンワン泣きながら、丘を滑り降り、塀もどうやって乗り越えたのか覚えていないが、家を目指した。隣のおばちゃんが、「どうしたの、そんなに泣いて」と心配そうに聞いてくれたが、返事も出来ず、家にたどり着いた。

 家では、父と母と妹がお昼ご飯を食べていた。大泣きして帰ってきた私に、「○ちゃん(友だち)から道案内で人を案内していったよ、と聞いたから、待っていたのよ」と母が言った。自分に起こったことが正確にわからなくて、説明もするのだがうまく出来なくて、泣くばかりだった。「顔を洗って早くお昼を食べなさい」と母は普段通りに言った。父も妹もなにも変わらない様子。

 そのとき、もし言葉に表せれば「わたしにこんなことが起こって、オソロシイ思いをしたの。理解して慰めて」と言いたかった。日常の場に戻れて安心したが、何か本当にわかってもらえない気持ちが残ったのである。
今でも本当のところは他に誰も知らない。事件にはならなくても、子どもだった私の記憶がこんなにあるのだから、事件になったらどんな影響があるであろう。子どもには何が起こるかわからない。そしてそのとき、その子に何が起こって、何を感じたか、本人はうまく表せない。それ故、周りの者にもわからないで通り過ぎることが一杯ある。




虐待防止に
つながる情報


「マズローのニーズのピラミッド」
  里親として社会的養護に入った子どもを引き受けると、ブラックボックスがその子にあって、養育をする者にとってはクエスチョンマークがいっぱい出てくる。どうして、どうしてそうなの、と言いたくなるが、それより、一般の子どもの発達を学んだことがとてもよかった。「マズローのニーズのピラミッド」が一番ありがたかった。

  三角形の底辺の1段目に安全感、2段目に安心感、その上の3段目に所属感、4段目に自己尊重感があって、一番上の頂点5段目に自己能力開発が来る。子どもは一番下から一つ一つ積み上げていかなければ自分の力を発揮できない。子ども虐待はこの基礎である底辺の安全感もない状態が続くので、その子の本来の成長はできないだろう。それを引き受けるのが里親あるいは養護施設である。しかし途中を手抜き工事して頂点を目指すことはできない。私は里親としての子育ての初めのころ、それがわからなかった。もっと早くわかっていたら、と思う。自己尊重感は自己肯定感ともいうが、「自分が好き」ということ。

  ここまでもってくるのがなかなか大変である。少しでもできたことがあったら、褒めて褒めて、プラスの言葉がけをする。

  私は自分から褒められるように努力してきた子どもだったので、自分が好きとか、考えてもみなかったが、最近7,8年くらい前から自分が好きと思えるようになった。自分が好きになると生きるのが楽しい。周囲の人もなんとなく生き生きさせる。生きるのが楽しい人の子どもは、その人のオーラを感じるのでその子も安定する。それが一番いい子どもへのプレゼントとなる。

セルフケア
趣味は音楽を聴く事とチャイナペインティング
 クラシック音楽のコンサートに行くようになったのは、中学時代の親友に誘われてから。若いころは器楽が好きだったけれど、最近は人の声、テノール、バリトン、合唱も好きである。私は女性なので、やはり男性の声にうっとりするし、主人は女性の声が好きのようである。太鼓、津軽三味線など、邦楽でも土着的なのが好きである。これらは西洋の人にも通じるからうれしい。

 また、私はチャイナペインティングを楽しんでいる。チャイナペインティングとは、磁器上絵付けのこと。白いカップやお皿に特別の絵の具で上絵を描き、700〜800度のかまで焼き付け、日頃の生活で使うこともできる。

  毎朝の犬の散歩道でも、季節毎に咲く草花など、川沿いに泳ぐ鯉、水鳥など、目にするものなんでも、これはどんな風になっているのか、と詳しく見るようになる。どんなデザインにしたら、カップに映えるかなど考えながら、眺めるもの全てが楽しみとなる。絵が上手でなくても、書き方は職人技で書き方通りに描けばできるし、間違ったらティッシュでふきとって何度でもやり直せるのもありがたい。自分なりのでもいいし、マイセン柄をまねてもよしと楽しんでいる。絵を描いているときは、他のことはすべて忘れて没頭してしまうから不思議である。
 
☆プロフィール
坂本 和子(さかもと かずこ)
東京生まれ。元養育家庭。NPO法人里親子支援のアン基金プロジェクト事務局長。


「妹と。かわいかったですねぇ〜」
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