|気づきの対話 top
第五回目のテーマは「社会的養護と当事者活動」
児童養護施設での生活体験者で、当事者活動をしている渡井さゆりさんとの対話です。
   
・・続き8
中3の時に父が死去
箱 崎 : 施設に入ってから、お母さんが時々施設に来ることはありましたか?
渡 井: その施設に7年いて、母が施設に来てくれたのは、記憶にあるのは、2〜3回ですかね。
箱 崎 : お父さんはどうですか?
渡 井: その間に父は他界しました。私は小6で入所して、母は、何か小さな交通事故に遭って、入院して子どもたちが心配になったのか、母が父に連絡して、所在を知らせたんですね。それで父はすぐに施設に来て、引き取りたがってくれたんですけれど、私が拒否しちゃったんです。父の方からは連絡をくれました。手紙や携帯電話を持たされたりして。でも、私はもう、父とどういうふうにつき合ったらいいのかわからないし、父とも話したいという気持ちもなくて。だから今でもちょっと父のことを思うと、どうして誰も父のことを愛せなかったのかなと思って。記憶に残っている父は、お酒は飲んでいるのと、部屋中の壁に墨文字でいろいろ誓いを書いているんですよ。「お酒もたばこもしない」とか、俺はこういうふうに生きるみたいなことを。
箱 崎: 自分に言い聞かせるよう書いていたのでしょうね。
渡 井: はい。父は自分の両親、私の祖父母と話している時は、すごく腰が低いんです。親子の会話とは思えないほど、丁寧でかしこまっていて、そのことをよく覚えています。
箱 崎: お父さんが自分の両親に対して、他人行儀みたいな感じですか?
渡 井: 平身低頭という感じでしたね。
箱 崎: 実際にお父さんの両親のおじいさん、おばあさんに会ったことがありますか?
渡 井: 私が中3の時に父が亡くなった時に、仏壇に手を合わせに行きました。それから全然連絡とっていませんでした。その後、人生の節目というか、20歳の時に、また行きました。ずっと施設に預けていた私のことをどう思っているかわからないんですよね。でもこっちから連絡するのも、関わりを持ちたいみたいな気持ちはなくて。でもその時にお墓参りに一応行ったんです。そうしたら、教員の叔母さんの家族は医者で、その息子たち、私から見れば従兄弟も、大学の医学部に行っているという話をするんです。でも、私は、その時に自分のお金で大学に通い始めているころだったので、そういう話はあんまり面白くないんですよ。親のすねをかじっている人がそういうふうに頑張れるなんて当たり前なんじゃないかって。でも、そんなの言うべきでないと思って、ちょっと嫌な気持ちで帰ってきて、それからはコンタクトはとっていませんでした。去年、結婚したので、節目として、また父のお墓参りに行って挨拶してきました。

次ページへ
  | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | MENU  
   
 
COPYRIGHT(C)2006 ORANGE RIBBON-NET & THE ANNE FUNDS PROJECT ALL RIGHTS RESERVED.