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4.死亡事例による児童福祉の改善
 2007年、アメリカでは1760人の子どもが虐待が原因で死亡した。一日平均5人の割合だ。アメリカがしばしば「虐待先進国」とよばれる理由はこの虐待死亡の統計数にあるのかもしれない。
 虐待死の原因の大半がフィジカル・アビュース(身体的虐待)だが、ネグレクトが理由で死亡している子どもが虐待死の35%をしめていることに注目すべきだろう。虐待死は年々増えつづけ、一才に満たないいわゆる乳幼児の虐待死亡の数は1970年には10万人に4人だった統計が、現在では10万人に15人以上、40年で3倍以上になった。

 虐待の通知の数も見てみよう。2007年。虐待の疑いありとして通報された件数は、およそ320万件。10秒に1件の割合。その320万件の中の60パーセントを児童保護局が実際に出動して調査を行った。そのうち虐待として立証された件数は79万4千件。この数は2004年度の統計、87万2千件から、確実に減っている。それにもかかわらず、虐待死が増えているということは、虐待全体は減る傾向にあっても、死に至るような残虐な虐待やネグレクトは増え続けていることになる。

 ワシントン州では児童保護局のケアを受けている子どもが虐待で死亡すると、地域のプロフェッショナルで編成された死亡事例検証委員会(フェタリティー・レビュー)が死に至る事故を調査し、報告書を一般に公開することが州法で定められている。

☆ラファエル・ゴメス死亡事例
 2歳の男の子ラファエルは2003年9月10日、両親の元に移されてから6ヶ月で死亡した。検死の結果、頭部殴打が死因ということがわかった。

 児童保護局はラファエルが病院で生まれた時に介入した。生後3日、新生児の麻薬検査に陽性の結果が出たために、里親に措置された。それから10ヵ月後、ラファエルは両親の元に戻された。親たちはペアレンティングなどのプログラムに参加している最中のことだった。ラファエルは母親からの暴行により、頭蓋骨骨折や火傷などの深刻な虐待をうけ、いったん里親に措置された。2003年3月、児童保護局の推奨により、裁判所は再びラファエルを親元に帰す判決を下した。家族はラファエルが死亡するまで、児童保護局からの監督とリソースを受け続けた。

 ラファエルの死の原因を追究したのはオンブズマンだけではなかった。死亡事例検証委員会もラファエルの死因を調査し、レポートを公表した。検証委員会は、ラファエルの死の原因のひとつは、ソーシャルワーカーが公正な目でものを判断する力に欠けていたことをまず第一にあげた。最初に親元に戻されたとき、ラファエルは親からの虐待によって怪我を負ったにもかかわらず、ワーカーは医師や里親の意見に耳を傾けようとしなかった。
そればかりでなく、親たちの問題は麻薬更生だけに限られているという狭い見解が家庭内の安全性を冷静に測ることの妨げになったと言及している。

 2007年の夏、州議会は『ラファエル・ゴメス法』を可決し、ソーシャルワーカーが裁判所に定期的なレポートを提出する際には、親に関するアセスメントの記録、たとえば精神鑑定や医師の診断のレポートも同時に提出することが取り決められた。 

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