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52万人の子どもを包含するアメリカのフォスターケア 私は季節が変わるごとに、生まれ育った日本のことを思う。一昨年、長年住みついた南カリフォルニアを離れてシアトルに移住した理由のひとつは、日本に似た四季のうつり変わりを求めたことだった。ピュージット湾ぞいの桜が散った今年のシアトルは季節はずれの寒気にみまわれ、5月に入っても子どもたちが家の中にこもってビーチに行けるのを首を長くして待つ日々が続いた。 私はアメリカで児童保護ソーシャルワークの仕事について今年で八年目になるが、5月になるといつも思い出すひとりの青年がいる。南カリフォルニアで、十代の里子たちと仕事をしたときに出会ったルーカス・ハイトという男の子。5月7日が彼の誕生日だ。2001年に14歳だったルーカスも今年で21歳。利発で多感なこの子どもは、4歳のとき妹とともに親から引き離され、施設を転々とし、18歳で法律的な『大人』になるまでの14年間をフォスターケアのシステムの中で孤児として育ち、高校卒業後、海軍に入隊した。 アメリカのフォスターケア(1)は、新生児から18歳の子ども52万人を包含する、おそらく世界最大のシステムだろう。その里子人口の約半数が11歳以上の子ども、5分の1が16歳以上の青少年だ。この国のフォスターケアを”危機 “と称してメディアは頻繁に報道する。その理由のひとつは、毎年フォスターケアを18歳で離れる2万人の里子たちの独立生活の厳しい現実だろう。 幼児期に虐待やネグレクトを受けトラウマを背負ったティーンの里子たちは、欠陥だらけのフォスターケアに長くいればいるほど、システムのエラーの犠牲となり、成人してからも失業、ホームレス、逮捕や拘置に至る犯罪など、あらゆる困難を体験していることが近年の調査からもわかっている。(2) ルーカスも重度の行動障害と愛着障害のため、里親との安定した生活も不可能なまま、8歳でグループ施設に措置され、15歳のとき精神科病院で百日以上を過ごし、フォスターケアシステムのあらゆる欠陥の犠牲者となって、ひとりで大人になっていった。私はルーカスからきた一枚の葉書きに眼を落とす。「シンコデマヨ〈5月5日のメキシコ建国記念の祝日〉に僕、青いドッジを買ったよ。初めての車にしては上出来。それを運転して、いつかミホに会いに行くね」。海軍基地のあるカリフォルニアのほこりっぽい中央盆地で、小さな車を自由に乗り回すルーカスの姿が眼に浮かんだ。 親が無く施設で育った10代の里子たちと仕事をした南カリフォルニアでの数年間は私のソーシャルワーカーとしてのキャリアの中で最も重要だった。それは、私が彼らの親代わりになって支える役目をしたということだけではなく、彼らとの仕事をつうじて、アメリカの児童保護の本当の姿、この国のフォスターケアのつくり出す”結果“を身を持って体験したからだった。(3) (次ページへ) |
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