怒りの奥底にある深い哀しみと淋しさ (1)
オレンジリボンネット管理人 
箱崎 幸恵 
 
 2006年11月、雨の日曜日、父の23回忌の法要を終えた。
22年前、父は病院に入院する前日の夜、「すまなかった」と私に謝った。突然のことだった。当時19歳の私は、「今更、そんな一言で謝られても」という怒りがこみ上げ、咄嗟に父を無視した。翌日入院した父は、末期の膵臓がんで、間もなく意識がなくなり、亡くなった。

 私が5歳のとき、母が父と結婚して、2人目の父と高校生の姉ができた。実の父とは2歳で別れてから、一度も会っていない。新しく父となった人は、アルコール依存症で、お酒が入ると、家の中はいつ何が起こるかわからない状態となった。特に夕食の時間が恐かった。父とは中学に入ってからは、ほとんど言葉を交わすことはなくなった。たまに目が合ってもお互いにそらすようになった。

 私は父の死後、父の謝罪の言葉を無視し、最後まで心がつながりを持てなかったことへの罪悪感にかられ、体調を崩した。すると不思議なことが起こった。2日に一度ぐらいの間隔で、夢に父が出てくるようになったのだ。夢の中で、父は私に好きだったクラシック音楽や映画の話をしていた。とても穏やかな表情になっていた。しかし父の一周忌が過ぎると、父はピタリと夢に現れなくなった。

 私は30歳を過ぎたとき、好きな男性ができた。そのころ、母との共依存関係で、その過度なストレスから体を壊して、早期ではあったが、乳がんの告知、治療と、危機的な状況に遭った。さらに追い討ちをかけるように、困難な出来事が続いて、とても落ち込んでいるときに、力になってくれた優しくて頼もしい男性だった。
私はある日、意を決して電話して、仕事で多忙なその人に会う時間を作ってもらった。そして、私は気持ちを伝えて交際してほしいと言った。しかしは彼の返事は「仕事が忙しくて物理的に無理だ」。ショックだった。

 別れ際、私はなんともないような振りをして、笑って手を振った。でもその男性の姿が見えなくなると激しい喪失感に襲われ倒れそうになった。それから毎日、早く忘れなくてはと、自分に言い聞かせたが、そう思えば思うほど、想いが募った。そんなある日、私の目の前にその男性が突然現れた。私への優しさからの彼の行動だったと思うが、私は咄嗟に彼を無視した。
私は15年前に父にしたことと、同じことをその男性にしてしまった。

 再び罪悪感にかられ、なぜ、好きな男性を無視してしまったのかと自分を責めた。私は2度目の底つきをした。1度目の底つきは、乳がんを告知されたときだった。自分の命を救うため、子ども時代の自分と向き合い、抑圧した感情を書いたり、語ったりして言葉にすることを始めた。再び底つきとなった私は、同じことを繰り返すのはなぜか、その理由を本気で探し求めた。それは真の自分と出会う魂の旅の始まりだった。旅の途中にかけがえのない人たちに出会った。同じ心の痛みを抱えた仲間たち、先行く仲間との出会いは海外にも広がった。

 カナダ人で、実父から子どものときに性虐待を受けて、その後、深い心の痛みから立ち直り、現在は被害者支援をしている、リンダ・ハリディ=サムナーさんとの出会いは、衝撃的だった。私に母や父との関係を見つめ直すきっかけを与えてくれた。そして、性虐待という問題が、私と無関係ではないことにも気づかせてくれた。この思いが、リンダの著書、『リンダの祈り〜性虐待というトラウマからあなたを救うために〜』の出版につながった。リンダは、「カエルは陸と水の中を行き来する霊的な生物で、伝えることを役割としている。ゆき、あなたはカエルとして、伝える役割があるのよ」と言い、カエルのキーホルダーをプレゼントしてくれた。(次へ続く→2へ

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