怒りの奥底にある深い哀しみと淋しさ (2)
オレンジリボンネット管理人 
箱崎 幸恵 
  
 また、年に一度米国から来日する、虐待や依存症の回復者で、アディクションカウンセラーのスコット・ジョンソンさんは、すべての依存症の根っこにある関係性の病、「共依存症」が、私の課題でもあることを気づかせてくれた。アルコール問題を抱えた家族の中で育つとはどういうことなのかを教わった。そして、スコットのワークを通して、私自身の強みとして、粘り強さがあることを知った。

 そして2006年1月、念願叶い、米国のアリゾナ州にある、民間の治療共同体『アミティ』に研修に行った。ここではあらゆる依存症の問題を抱えた人や、犯罪をおかした人たちが、裁判所の命令を受けて、生活を共にしながら治療をしている。まず虐待や依存症から回復したカウンセラーが、虐待体験など、自ら心の痛みを語り、体験から回復への道に必要なことを教え、先行く仲間としてのお手本を示す。そこは、愛と思いやりに溢れた自分の真実を語れる安全な場、サンクチュアリであった。アミティでは感情を読み取る「エモーショナル・リテラシー」をテーマとしたプログラムが充実している。

 この研修では、日本から共に参加した元アルコール依存症で回復者の50代の男性や、私と同じで父親がアルコール依存症だった20代の女性ら、新たな仲間とも出会えた。
研修の最終日、私は、創立メンバーでもある女性のカウンセラーから声をかけられ、みんなの前に出て、“ソーシャル・アトム”というワークを受けた。仲間たちが、私の生まれ育った家族の役となって、私は原家族と向き合った。 
 そのとき、2歳で別れ、私にとって最も遠い存在であるはずの実の父が急接近した。そして、「お前のことは嫌いだ。だから会いにはいかない」と、否定的なメッセージを父の声として、自分に与え続けていたことに気づいた。涙が溢れた。私は実の父を恐れ、愛情を求めていた。それは私が最も認めたくない感情だった。その感情を真実を語る場、サンクチュアリで、わかち合い、受けとめられた。
自らも子どものときに虐待を受けたと語るアミティの50代の男性の回復者カウンセラーが、別れのとき、石でできた熊のネックレスをプレゼントしてくれた。そして、私の両手をしっかりと握りしめ、涙をためた優しい目で私の目をまっすぐと見て「熊は勇気の象徴だよ。ゆき、君はとても勇気があるんだよ」と言葉をかけてくれた。

 子ども時代の自分と向き合い、抑圧した気持ちを言葉にしていく作業は、つらいだけではなかった。子どものときの自分を思い出すとき、懐かしい人たちの顔が浮かぶ。9歳まで毎日のように遊んだ児童館で、いつも背中におぶさった男性職員さん、厳しいレッスンの後に膝の上に私をのせて話を聞いてくれたピアノの先生、暗くなるまで一緒に遊んだいとこや近所の友だち。よく私の涙をなめてくれた犬のバン。

 そして、姉は21歳で結婚して家を出るまで、小学生の私に、よく夜眠る前に「ごんぎつね」や「じゅげむ」など童話や昔話をしてくれた。私はとても安心した気持ちになって眠りに入った。子どものとき、夜空の月を眺めては、自分はひとりぼっちだと泣いていた。でも本当はひとりぼっちではなかった。
2人の父の存在は、影ではあるが、光も放つ。父という影の存在がなかったら、これまで出会ったかけがえのない人たちは、私の人生に登場することはなかっただろうから。

 私は子ども時代の自分と向き合うなかで父と母の深い心の痛みを知った。2人目の父は2歳のときに、実の母親が病死し、新しい母親ができたが、その事実を知ったのは、中学生になってからだった。また母は、祖父がアルコール依存症だったため、幼いときから奉公に出され、奉公先で自分の名前を変えられた。そして危うく満州に売り飛ばされる危機一髪のところで、里親に助けられ育てられた。母は、ドラマ『おしん』のような苦労の多い子ども時代だったのだ。(次へ続く→3へ

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