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・・続き2

児童保護局のソーシャルワーカーの仕事の理想と現実
 私は現在、シアトルの40キロ北のエヴェレットという市にある児童保護局(4)のソーシャルワーカーとして働いている。ワシントン州の児童保護は7つの管轄区に分かれて運営されていて、エヴェレットはその第3地区にあたる。

 私の仕事は、子ども虐待やネグレクトがもとで実親から引き離された子どもたち、また、親子が一緒に暮らすことができても、裁判所の監督の必要な家族たちのケースマネジメント実務である。カリフォルニアの児童保護局にいた時とはうって変わり、今は新生児から思春期までのあらゆる年齢の子どもたちと、彼らのケアにあたる人々、そして裁判所やコミュニティーパートナーたちが仕事相手だ。 

 1997年のASFAという連邦法案は、子どもたちの迅速で確実なパーマネンシーを確立するために12ヶ月以内に子どものケアプランのとりきめのためのヒアリングを行う、という法的な枠組みを打ち出した(パーマネンシー・プランニングとは里子が施設を長年にわたって転々としないよう、一定の期間内に親と安全に暮らせるようにするための計画。同時に、親元に戻れる見込みの無い里子に対し、安定した恒久的な家庭環境、たとえば養子縁組や後見人などを与えること。安住のためのプラン)。

 でも実際には、いったん親元を離れた子どもたちを安全に親元に戻すまでに、またはアダプション〈養子縁組〉などの恒久的なプランの確立に、2年から3年の年月がかかっているのが現実だ。私は、オレンジリボンネットの読者の人たちに、現場で働く一人のソーシャルワーカーの体験をそのままそっくり現在進行形で届けてゆきたいと思っている。

 アメリカ人は往々にして理想的。連邦政府が2002年“児童保護の総合的なリフォーム”を打ち出した結果、全米各地でポリシーの改善運動が進んでいる。その理想と現実の狭間で日々仕事を続けるソーシャルワーカーたち、子どもたち、肉親たち、そして里親たちの声が聞こえるようなレポートをこれから送りたい、と思っている。
  
アリスの3人の子どものパーマネンシー・プランニング
 5月8日、私はエヴェレット市の上級裁判所の第二裁判室に出廷した。そこには、アリス・ベーカーというひとりの母親が弁護人とともに座っていた。アリスには5人の子どもがいる。3年前の2005年、深刻なネグレクトの通告により、子どもたち五人は全員、里親に措置された。当時、9歳と6歳だった年上の2人の女の子は、母親のもとに戻されたが、行動障害などをかかえた年下の3人子どもたちは、親元にもどることなく、3年の月日がたった。私はソーシャルワーカーとして、アリスと彼女の子どもたちと仕事をしてきたが、この日は、自分の弁護人である司法長官補佐アイリーン・ウェストの隣に座っていた。

 アリスは、3人の子どもたちの親権を放棄することを決意し、この日、正式な書類にサインするために出廷した。アイリーンは3部の書類を机上に並べて子どもの名前を確認した。サマンサ(7歳)、ジャック(6歳)そしてアンソニー(4歳)。判事が入廷するまでの数分、凍りついたような空気が、裁判所内を包み込んだ。最後部の座席には、3人の子どもを今まで育ててきた里親たちが息を殺して座っている。アリスは白いジャケットを着て、長い金髪をポニーテールにし、下を向いた青ざめた顔をあげようとしない。軽度の知能障害をもつ27歳のアリスは15歳のとき長女を生んだ。その後、女の子を2人、男の子を2人、合計5人の子どもたちには5人の違う父親がいたが、子どもたちは彼らの父親とは、ほとんど接触が無かった。

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