第三回目のテーマは、「ドメスティック・バイオレンス」DVコンサルタントで、DVサバイバーの中島幸子さん
との対話です。(パート1)
   
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自分の体験を生かすまで10年かかった

箱 崎 : DVを受けた女性たちを支援するグループ、『レジリエンス』を作ったのはどういう経過からだったのですか?
中 島 : 自分の体験を生かしたいと思いましたが、そう思い立ってから実行するまでにかなりの時間がかかりました。アメリカから日本に戻ってきたのは28歳で、講演会などで、本格的に自分の体験を話し始めたのが38歳ぐらいでした。そして、『レジリエンス』を立ち上げたのが、40歳ぐらいのときで、10年以上かかっています。

 いつか自分の体験を生かす仕事をするとしたら、体験だけではなく、知識もちゃんと得てから実行したいと思っていました。それで、2年ぐらいまたアメリカに行って、ポートランド州立大学院でソーシャルワーク学びました。それから日本に戻ってきました。
箱 崎 : 日本での講演活動はどのように始まったのですか?
中 島 : 最初は英語で伝えました。英語版いのちの電話のカウンセラー養成講座で、DVについて話したのがスタートです。その頃はまだ、日本語で話す自信がありませんでした。
箱 崎 : その後、日本語で講演するようになるまでに、どういうプロセスがあったのですか?
中 島 : 日本語で講演するようになったのは、渋谷にある東京ウィメンズプラザで行われたDVの講演を聞きに行ったときにウィメンズプラザの職員の方や精神科医の方と話をして、連絡をとり合うようになったことがきっかけです。
それが2003年の春ぐらいで、何ができるかなと考えて、部屋を借りてオープン講座を始めました。

 このオープン講座はDVの被害を受けた方が、DVについて学んだり、体験や気持ちを分かち合う内容の講座です。最近は名前を変えて、“こころのCare講座”と呼んでいます。
他に、東京都からの依頼で、自立支援講座の1つとして、DVの基礎知識の講座を依頼されました。こころのCare講座は、今は目黒区と神奈川県の戸塚でも行っています。
箱 崎 : 最初は参加者が少なかったそうですね。
中 島 : 人が来ませんでしたね。ずっと一桁の参加人数でした。宣伝もほとんどしていなくて、みなさんどのように知って来られたのかなと。
箱 崎 : それでもだんだん参加者も増えて、『レジリエンス』のスタッフも増えていったのですね
中 島 : 最初は一人で始めたのですが、DVの被害者支援をしている方から、西山さつきさんを紹介されました。さつきさんは、新たなスタッフとして講座を手伝ってくれるようになりました。同じDVの被害体験のある人で、2期目から一緒に講師として講座をしてくれています。あとのメンバー3、4人は、最初は講座の参加者で、スタッフとして一緒に活動してくれるようになりました。
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