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第四回目のテーマは、「エモーショナル・リテラシー」
薬物依存症の回復者で治療共同体のアミティの創設者のナヤ・ア−ビターさんとの対話です。(前半)→(後半
   
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治療共同体アミティの創設者、ナヤ・アービターさんとの対話
- 前 半 -
 米国に『アミティ』という、アリゾナ州を拠点に犯罪者やあらゆる依存症者の社会復帰を支援するNPOがあります。『アミティ』はラテン語で友情・友愛を意味します。治療共同体(Therapeutic Community)をベースに心理療法的なアプローチで、自分を見つめ、新たな生き方を学ぶ「サンクチュアリ(安全な場)」といわれています。

 今回は、そのアミティの創設者、ナヤ・ア−ビターさんとの対話です。
10年来、アミティの取り組みを映像化してきた、映画監督の坂上香さんに通訳をお願いしました。
この対話は、2004年の9月に行われたものです。坂上さんの初映画監督作品『ライファーズ〜終身刑を超えて〜』が全国各地で上映され、そのシンポジウムのために、ナヤ・アービターさんが来日しました。
 この映画は、終身受刑者を主人公にして、アミティの取り組みを撮ったドキュメンタリー映画です。
 アミティのプログラムのベースにあるのは、「エモーショナル・リテラシー」です。
それは、自分のありのままの感情を認めて表現すること、他者の感情をも理解し、共感し、互いの力を引き出し合うことを意味しています。
日本社会の中で、このことばのメッセージは今とても求められていると思います。特に子どもたちをとりまく環境、家庭の中で、学校の中で・・・。

 私は、2006年1月に、アリゾナ州ツーソンにあるアミティ本部を訪れました。そこにいる数日間、すべての時間がスピリチュアルに満ちていました。アミティの写真は、その時に撮ったものです。
アミティでの気もちを分かち合う体験を振り返りながら、ナヤさん、坂上さんの一つひとつの言葉の深さを改めて心に強く刻みながら、この対話をまとめました。

映画『ライファーズ〜終身刑を越えて〜 アリゾナ州ツーソンにあるアミティ本部の入口

学びあう治療共同体とエモーショナル・リテラシー
箱 崎 : 今回、ナヤ・アービターさんは、坂上香さんが監督した『ライファーズ〜終身刑を超えて〜』の上映のために来日されて、日本各地を坂上さん、一緒に回っている最中のお忙しい毎日のところ、時間を作って下さり、ありがとうございます。

ナヤさんたちが創設した民間の治療共同体『アミティ』は、裁判所の命令で来た犯罪者や薬物・アルコール依存症の人たちが新しい生き方を学ぶ場であることが、坂上さん制作のドキュメンタリー番組で初めて日本に紹介されました。それはとてもインパクトがありました。

今回の映画『ライファーズ』では、アミティのプログラムを刑務所にいる終身受刑者(ライファー)たちに行い、まず加害者である前に、被害者である自分と向き合い、自分の感情を理解して、 それを表現していく、「エモーショナル・リテラシー」が映画の中で随所に紹介されていました。このエモーショナル・リテラシーをもう少しわかりやすく教えていただけますか?
ナ ヤ: 知的なもの(インテリジェンス)には様々な種類があります。知識を意味するインテリジェンス、倫理的なインテリジェンスなどです。刑務所では、IQが高くても、それまでの体験や刑務所での体験などからトラウマを負い、情緒的なインテリジェンスが非常に低い人が多いのです。

治療共同体、TC(Therapeutic Community)という言葉があります。アミティはこの治療共同体のコンセプトにティ−チングを加えて、TTC(Teaching Therapeutic Community)と言われています。TCそのものがグループダイナミクスや、人間の総合的な関係を使いながら、問題を克服していくという考え方です。けれども、アミティは単にグループで総合的に影響を与え合うだけではありません。さらに人間的に成長するためにティ−チング、“お互いにもっと学び合う治療共同体”、TTCと私たちは呼んでいます。

治療共同体では、感情を理解したり、表現するだけではなく、刑務所でさえ、互いを肯定的に捉えようと心がけます。今まで否定的に自分たちを思っていたとしたら、肯定的に捉え合い、表現し合う、理解し合う、ということをしています。
箱 崎 : 自分の感情だけでなく、相手のことを理解し、共感するということですか?
坂 上: そうです。相手の良い面を引き出したり、自分も感情を表現する。互いを肯定的に捉えて、さらにそれによってまた自分も相手も表現したくなるという状況をつくり出す。
ナ ヤ: まず小さなグループで感情を表現し合います。ただ感情を爆発させるというのではなく、言葉で表現する。表現することと、アクトアウト(ただ感情を爆発させること)とは違います。

人は、自分の体験を名づけることができなければ、単に加害者というフレーム(枠)に閉じ込められてしまうだけです。言い換えると、体験にはまず名前をつけて、本当に起こったと認める。それを、クレームすると呼ぶのだけれど、クレームして、自らの体験を使えるようにしなくてはいけない。体験を違う形で利用するのです。
 
今まで、坂上さんが作った2つのテレビドキュメンタリー番組は、それぞれが抱えている感情とか問題をとても詳細に赤裸々に記録して描写していました。今回の『ライファーズ』は、その先を行っていて、彼らがその体験を使ってどうするのか、というところまで描写しています。

たとえば、映画に出てくるライファーの1人のケルビンが、自分の子どもたちとの関係を取り戻した、という場面があります。受刑者で回復した兄の影響があったというのもあるけれど、その兄も、自分の子どもたちを取り戻して、終身受刑者である弟のケルビンの子どもたちまで、自分のもとに呼び寄せて、大きな家族を築き上げて助け合って生きています。そういう行動そのものに大きな意味があります。
彼らが過去に経験した負の体験、罪を犯したり、家族を傷つけたり、家族を捨てた体験。自分も傷つけたし、自分も傷つけられた体験。そういう両方の被害、加害の負の体験を別の形にする。
今度は、自分たちが責任を持って子どもたちの面倒を見る、弟の家族の面倒を見る、刑務所の中からも自分たちの子どもと連絡をとり、関係を紡ぐという行動につながったのです。
 
たとえば、アメリカでは最近子どもが親を殺す、という事件が増えています。子どもは親から、もっと勉強しなさいとか、もっと創造的になりなさいとか、もっと〜しなさいといろいろ言われてきた。結局、それが自分の感情を抑圧することにつながっているのです。親が言ったことを守ろうとして、うまくできなくて、結果として違う形、否定的な形で発散させてしまう。
 
坂上さんの今回の映像は、終身刑受刑者に見られるように頑なで、男性中心主義的な男たちが身体の中に自分の体験を押し込めてきたことを示しています。加害者になってしまったけれど、新しい道を選ぶことによって、情緒的な知性を高めていると言えると思います。その証しです。

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