箱 崎 : |
2つ目の結末とはどのようなことですか? |
スコット: |
2つ目の結末は、母親との関係です。本当にとてもひどいものだった。父親との関係よりも母親との関係が全面的に出てきてしまいました。 |
箱 崎 : |
それはなぜですか? |
スコット: |
母親の面倒を見ているときに、自分は大切なんだと、自分の存在感が感じられたからです。それは「情緒的近親かん」と呼ばれるものです。私は母親とはセックスをしたことは一度もないけれど、それ以外のことはほとんどしました。母親は「あなたは、お父さんと違ってよかった」とか、「男はブタだけど、あなたは違うわね」とか、おだてられて、母親の問題を私が助けられないと、母親がわめきちらすことの繰り返し。
男とはどういうものか、というセルフイメージを築きあげている若い男の子にとって、それは全く助けにならなかった。「男はだめだ。あなたは本当にお父さんでなくてよかった」とか言われて、男性へのイメージが混乱する。男はだめだがお前はいいと言われて、僕はなんなの?とわからなくなり、性の役割が私のなかで混乱した。 |
箱 崎 : |
男性性について、お母さんから、混乱するメッセージを与えられ続けてきたのですね |
スコット : |
私はゲイではないですよ。でもそのこんがらがったメッセージのせいで、自分はゲイなのかと思って長い間、悩んでいた時期があります。男性というのは、問題を大きく公言するものではない。そういうことを口にする男性はだめ、といわれてしまい、そのような大きな問題を抱えていても、口をつぐんでいなくてはならない。男は完璧でなくてはならないと思い、アルコールのルールに従って自分の問題を語ることはなく、隠していました。飲むことで隠していたのです。 |
箱 崎 : |
そのことは、異性との関係にどのような影響を及ぼしましたか? |
スコット: |
それによって、女性との関係も、母親との関係に似てしまった。つまり、私が恥を感じることを何回も繰り返すような女性を選んでしまう。それを繰り返してしまう。結婚しても、家族が壊れて離婚することを繰り返す。
私には子どものときにヘルシーなモデルが与えられなかった。とても病気なお母さんを助けているときだけ、自分に存在価値があると思っていた。いい気分になれたのは、そういうときだけだったのです。私が援助職という職業を選んだことと、母親を助けているときだけ、気分が落ち着くこととの相関関係が大いに似てとれるでしょ?(笑) |
箱 崎 : |
そうですね(笑) |
スコット: |
そのことを認めないと危ない。認めないために、援助職の人で自分の幼年時代の問題をクライアント相手にワークしているような人がたくさんいます。でも、彼らはうまく隠せるから、しばらくはイメージが保てる。でもそうじゃないことを、あえて同業者に対して警報を鳴らしたい。お金も儲かるだろうけど、自分の情緒的代価を払ってしていることだからまずいことだと思います。それも未完の、手当てされていない幼年時代の問題ゆえに、ということです。
私が日本に来て、援助職の人たちに向けてワークショップを開いているのは、そういう意味があります。 |
箱 崎: |
スコットさんのワークショップはいつも、他者ではなく、自分の問題と向き合うことを促す内容になっているので、たくさんの気づきを与えられます。 |
スコット: |
ありがとうございます。 |