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引土 絵未(ひきつち えみ)

1976年広島生まれ。
広島県立女子大学(現広島県立大学)卒業後、精神科ソーシャルワーカーとして主にアディクションからの回復支援に携わる。在職中にアメリカの治療共同体に感銘を受け、大学院で治療共同体について学ぶことを決意し、5年半勤務した精神科病院を退職。その後、首都大学東京大学院社会科学研究科社会福祉学専攻博士前期課程修了し、現在、同志社大学社会学研究科社会福祉学専攻博士後期課程にて、アメリカの治療共同体の日本での実現に向けて、現地での研修を重ね勉強中。
 修士論文『「当事者」「援助者」を越えて−治療共同体AMITYにみる援助方法の一考察−』。
 
私自身の経験から
今回は、私自身のAMITYでの経験からAMITYの根幹である「デモンストレート」と「エモーショナル・リテラシー」について触れてみたい。

AMITYとの最初の出会い
 AMITYでの最初のプログラムは、研修ツアーの参加者と私たちと一緒に研修を過ごしてくれるスチューデントたちの自己紹介だった。
 スチューデントはありのままの自分を語り、リカバリング・スタッフは自身の回復のストーリーを率直に語り「自分の心の扉を開けてみよう」と呼びかけてくれた。そして、私はこの時初めて自分の父親がアルコール依存症であったこと、そして自殺で亡くなったことを大勢の前で話した。時間にするとほんの数秒、出来事について少し語っただけだったが、私には大きな挑戦だった。

 自己紹介の後、あふれ出しそうな感情の波をどうにか抑えた。大勢の前で語ることはできても、感情をさらけ出すことは怖かった。自己紹介は無事に終わり、そのまま外へ移動して歓迎のセレモニーが開かれた。
この時の出来事は、私の生き方を大きく変える出来事となった。

 セレモニーは、スチューデントから研修ツアー参加者の私たちに一人ずつメッセージとキャンドルが手渡されるというものだった。セレモニーの最初に、私はスチューデントのマイキーという青年に名前を呼ばれた。彼はアルコール依存症の母親を自殺で亡くし、そのことをきっかけにアディクションの問題を抱えるようになり、AMITYの中で回復を目指している青年だった。彼は私にこう語りかけた。
「あなたが自分と同じようにアルコール依存症の父親を亡くしたという話を聞いて、すごく感銘を受けた。僕が母親を亡くした時に父親が僕にくれた言葉をあなたに贈ります。『母親はいなくなっても心の中に生きている』。あなたのお父さんもあなたの心の中に生きています」

 自分の苦しみについてそれまで語ることが出来なかった私にとって、こんな温かい言葉をもらったのは初めてだった。この時、私はマイキーから温かい気持ちを受け取り、私の心の扉が開かれていくのを感じた。
「日本で援助者として働いている時には、どこにも安全だと感じる場所がなく、自分のことを語れる場所がなかった。でも、ここでなら話せるかもしれない」
 私は援助者としてではなく、私自身の問題に目を向けようと心がけた。
 
 この滞在の後、私はオレンジリボンネットの特集「子ども時代の私」で、ありのままのライフストーリーを語ることが出来た。それまでの私にとって、自分自身の過去の経験は「隠さなければならない苦しい過去」でしかなかった。
 しかし、AMITYのリカバリング・スタッフやスチューデントたちが自分自身の経験をありのままに語り、そこから自分が回復していく姿勢を示すことで人を導いている姿勢を目の当たりし、「経験は財産」ということを実感した。
 私の「隠さなければならない苦しい過去」も、私自身が受けとめ、語ることを通して「誰かを導くことのできる経験」になるのかもしれないと感じた。
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