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第五回目のテーマは「社会的養護と当事者活動」
児童養護施設での生活体験者で、当事者活動をしている渡井さゆりさんとの対話です。
   
・・続き7
箱 崎 : ああ、有名な方ですね。
渡 井: はい。私が知ったときはまだ草間さんは、市長になられる前で、松下政経塾の塾生のサイトで発見して、施設を巣立った人のビジョンみたいなことが初めて見れました。私はできれば、ネット上じゃなくて、いつかみんなと気軽に集える場があったらいいなと大学へ入ってから思ってはいたんです。でもそんなすぐにできるというわけではなくて。それで、大学3年生の時に実習に行ってみたりして、一社会人としての関わりがいいんじゃないかと思って就職活動を始めたんです。もう福祉の仕事には就きたくないという気持ちになって。
箱 崎 : その時は、福祉の仕事とは少し距離を置きたいという感じだったんですか?
渡 井: そうです。仕事じゃなくて、福祉はボランティアでやりたいと思いました。
日向ぼっこ誕生
箱 崎: そうしたなかで、日向ぼっこが生まれる動きがあったのですね?
渡 井: その頃、同じ大学の1年後輩で施設出身者の冨塚さんと話すようになってだんだん親しくなっていきました。就職活動をしている最中に、就職活動もどういう仕事に就いたら施設出身者のサポートがしやすくなるのかなあと模索していた時に、さっきお伝えしたピースボートで出会って、同じ大学に通っていたIさんが、施設出身者で施設職員経験がある市川さんを紹介してくれたんです。そしてゼミの教官だったMさんと4人で飲むことになったんです。その席で、「大学1年生の時から、施設出身者が集える何かをつくりたいと思っていたんですよ」という話をしたら、「じゃ、お前やれよ」って、Mさんに言われて。あっ、確かに今だったらできるんじゃないかなあと思って、それですぐに冨塚さんに相談したら「じゃ、手伝うよ」と言ってくれました。
箱 崎: それはもう当事者の居場所をつくろうとなったのですか?
渡 井: いえ、その時は、何か、インターネットサイトをつくれたらいいんじゃないか思ったんです。でも、当時それぞれ施設を巣立って何年か経っていたので、現状の社会的養護を理解しようという話になったんです。それで、東洋大の研究室に集まって、児童養護施設のことなどの勉強会を週1回で始めました。2006年の3月14日が1回目です。厚労省の出している文書の読み合わせして、「何か当事者の視点がないよねえ」と言ったり、自分たちの援助観を話し合ったりしました。その内容をこの「日向ぼっこ通信」に記録残しました。記録がある方がいいって思って。
箱 崎: 何をやってきたかわかりますからね。
渡 井: はい。勉強会は、施設で暮らしていた人以外も参加してもらって、独善的にならないようにしたいなあって思って。そうしたら、執筆の依頼とか、話してほしいとか、依頼をいただいたりするようになりました。それからのスピードは速かったですね。
箱 崎: 日向ぼっこができて、まだ3年前のこととは思えないですね
渡 井: そうですね。それで勉強会をかためていって、当事者のこういう場があればいいよね、生活のサポート、権利擁護、全部当事者によるものがあるといいよねえと。でも、だんだん やっていく中で、これも当事者が発信していけば、援助は良くなっていくし、権利擁護というのも、子どもの視点というのをもっとやってくださる方の中にも浸透していけばいいわけだし、研究も当事者の視点を大事になされればいいわけで。当事者が集うサロン、「日向ぼっこサロン」は、私たちじゃないとできないことだよね。これをやろうってなりました。でも、10年以内に実現できたらいいねっていう話だったんです。
箱 崎: 「日向ぼっこ」という名前はどのようにしてついたのですか?
渡 井: 市川さんです。「日向ぼっこ」の最初の宿題が、この会の名前を考えてくるっていうことで、でも、みんな思いつかなったようで、私が、「陰日向」っていうのはどうかなあと聞いたんです。世の中は光の部分や、陰の部分もある。陰もあっていいんだよという思いをこめて。でも、「陰日向って暗い」って言われて、そうしたら「日向ぼっこがいいんじゃないかな」という意見が出てきて「あっ、それはいいですねえ」とすぐに決まりました。
箱 崎: 日向ぼっこが広く知られるきっかけになったのはいつですか?

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