第1 回 第2 回 第3回 第4回 第5回
1   2   3   4   5   6   7   8   9
 
・・続き3

 ステーシーが母親に、「いつからジェフとつきあっているんですか。」と聞いた。母は4ヶ月ぐらい前から、と答え、「ジェフの麻薬更生治療のことなどは、よく知らないし、質問もしない」と言った。そして、母親との30分ほどの対話から、こんなことがわかった。イジーとハンナの子どもたちには2人の別々の父親がいること。イジーの父親はトーマス。ハンナの父親はサム。ふたりとも、ワシントン州の出身だ。母親のドリスはサウスダコタ州の生まれで、3年前、DVの関係に巻き込まれ、フロリダで半年間暮らしていた。イジーはその時まだ乳児だった。友達が手を差し伸べて彼女をDVから救い出し、ワシントン州にもどってきた。

 ドリスがステーシーとひとしきり話をしていると、飽きてしまったのかイジーが母親のひざの上に上ったり降りたりし始めた。母親はイジーをかばいながら、自分が幼少の頃、養子縁組されたことも話した。姉がふたり、兄がふたりいるが、養子として育てられたのは彼女だけだった。ドリスを養子に迎え入れたその家族は、彼女にとても優しく、安定した暖かい家庭生活を与えていたことも話した。ドリスには以前に、いろいろな男たちとDVの関係にあったこと、そしてそのことが原因で、両親や兄弟姉妹としばらく仲たがいしていたことを告白した。母親は急に不安になり「ジェフのもとをたたなければ、子どもたちを失ってしまうのよね」と言った。ステーシーは母親にまず、イジーを中央病院の児童虐待専門医のところに連れて行くように説得し、その日は警部と帰っていった。

 翌日の夕方、ステーシーはエヴェレット中央病院のスタッフからの連絡をうけた。母のドリスがイジーをつれて、病院を訪れたとの報告だった。イジーの股から、腿の裏側の上部、臀部にかけて、打撲傷が広がっていることがわかったが、腿の前部にある痣は真ん中が無くまだら縞のようになっていて、どのようにしてうけた痣なのかはっきりせず、写真を撮ったという報告だった。イジーは親とは別々にインタビューされたが、自分で転んでできた痣だと、言いとおした。ポーラは「イジーにはとくに成長発達には以上が無いですね。とても活発で目の離せない子どもですけど。」と言ってソーシャルワーカーへの電話報告を終えた。

 ソーシャルワーカーのステーシーは、ジェフに会いに行った。ジェフは、法廷命令により、麻薬更生のプログラムを受けているところだった。ワシントン州の出身で、ドリスと同じように白人。ジェフはステーシーに、自分がPTSDにさいなまれているのは8年前に、体じゅうに大やけどをしたからだ、と言った。今はそのやけどのあとを刺青で隠している。ジェフは、イジーの臀部を激しく叩いたことは認めたが、「こんなことぐらいで、あんたたちに厄介になったことは今まで一度もないよ。」と言った。

 ステーシーは母のドリスに電話を入れた。「あなたがジェフと一緒にいれば、子どもたちの身が危険にさらされることになります。子どもたちを保護するために、ジェフとは関係を絶つことが、まず必要と思います。」と忠告した。母は電話口で泣き始めた。
ステーシーは病院と警察からの書類をすべて取り寄せる手配をし、リスク・アセスメントの書類をつくった。そして、スーパーバイザーとの最終的な打ち合わせから、このケースは法廷に提出する必要は無いと判断した。母親がイジーとハンナの安全を確保できるように児童保護局がサービスを与え、しばらく見守ることにした。

次ページへ
1   2   3   4   5   6   7   8   9
 
   
 
COPYRIGHT(C)2006 ORANGE RIBBON-NET & THE ANNE FUNDS PROJECT ALL RIGHTS RESERVED.